《蔵書紹介》宇山佳佑 作『今夜、ロマンス劇場で』 集英社文庫. 2017.
《館長雑感》映画と小説 / 「私設圖書館」訪問記
《蔵書紹介》宇山佳佑 作『今夜、ロマンス劇場で』 集英社文庫. 2017.

2018年に劇場公開された同名映画のノベライズです。綾瀬はるか、坂口健太郎主演のラヴ・ロマンスあるいはラヴ・コメディと言われるのですが、私は、仕事に情熱を掛けた青年の自叙伝と思っています。
これは、俳優の加藤剛さんの遺作となりました。物語は、加藤剛さんが演じる老人が、病床で看護師に聞かせる映画のシナリオとして展開します。そのシナリオの中には、自分の若い頃と思しき青年(坂口健太郎)と、自分が情熱を注いできた仕事のメタファーであるモノクロ映画のお姫様(綾瀬はるか)が登場します。お姫様はわがままで気まぐれ。青年が3日も掛かって描いた書割(かきわり・背景幕)を無茶苦茶にしたり、撮影場をふらふらして大事件を起こし、それが何故か青年の所為になったり、つまらない用事を言いつけたりします。どれも「会社あるある」ですよね。「もういい加減にしてください」と言いながら、青年は仕事に惹かれていきます。
物語の中には、地位や成功のメタファーである社長令嬢(本田翼)や、見栄や名声のメタファーである人気俳優(北村一輝)が登場します。青年は、そうしたものから一定の距離を置いて、ただ一途に仕事に没頭します。それが、けっして報われることのないお姫様への恋として描かれていくのです。人をそうして何かに搔き立てる動機は何なのか。それについて、シナリオの作者である老人は、お姫様に次のように言わせています。
昔はたくさんの人がわたしのことを観てくれた。でも一人いなくなり、二人いなくなり、結局そのうちに誰もいなくなってしまった。…怖かったんだ。このまま皆の記憶から消えていくことが…そんなとき、お前はわたしを見つけてくれた…こんなわたしでも、まだ誰かを喜ばせることができる。そう思うと嬉しくてたまらなかった
(pp152-153)
定年退職で会社を辞めるとき、もしかすると私もこうして自分の来し方を振り返るのかもしれません。こんな感想、ラブストーリーとして楽しんでおられる方にはノイズにしかならない解釈ですが。
(2025・10・1 館長)
《館長雑感》 映画と小説
本屋さんに行くと、入口からよく見える場所に、「映画化決定」などと書かれた帯が巻かれた本が置かれていることが多いように思います。以前から知っていたけれど読んでいない小説だとか、作者の他の小説は読んだことがあるといった小説にそんな帯がまかれていると、つい買ってしまいます。
さてあなたは、映画を観てから小説を読む方ですか。それとも読んでから観ますか。私の場合、特に決まったスタイルはなくて、観てから読むときも、読んでから観るときも、読んでいる途中で観るときも、読んだら観た気分になって観ないときもあります。小説を読んでいたら映画が観たくなって、昔の映画をネット配信で観るようなこともあります。
小説では、登場人物の感情を言葉にすることができます。ところが映画になると、それを直接的な言葉にすることは出来ません。台詞の微妙な言い回しや表情、演技によって表現しないといけない。その代わりに、言葉では言い尽くせない情景を映像化し、音楽や効果音でそれを強調することができる。どちらの表現方法にも甲乙つけがたい魅力があります。
ところで、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ原作の映画『遠い山なみの光』が先月、公開されましたね。ご覧になられたでしょうか。私は先に小説を読んでから映画を観ました。小説の読後感はあまりスッキリしたものではありませんでした。登場人物の一人ひとりが何故かとにかく鬱陶しい。それにこの人が何故イギリスにいるのかについて一切語られない。そして映画に登場しない景子の自殺の理由も。こんなに読後感がモヤモヤするのに映画を観るのかどうか迷いました。でも、やっぱり観てよかった。映画の最後5分で「あ、そういうことだったのか」といっきに伏線が回収されました。それで小説をもう一度読み返してみると、確かにそう書かれているのです。最初に読んだ時には何となく変だなと思いながらスルーしていました。映画を観たことで、スッキリとしました。
映画は原作に対する二次創作ですから、そこに特定の解釈が入ります。私の場合、小説を読んだだけではその解釈には至りませんでした。解釈というより、小説の中の大事な言葉をスルーしてしまって、作者の意図を読み解けなかったのです。映画の解釈に助けられて、やっと読了することができたように思います。映画と小説を巡る新しい体験でしたね。
詳しく書いてしまうとネタバレになりますから、ここもなんだかスッキリしないモヤモヤした読後感の文章になってしまいますが、小説を読んで映画を観たら、きっとスッキリしますよ。
(2025・10・1 館長)
「私設圖書館」訪問記
京都市左京区の銀閣寺の近くに、こんなことを標榜する私設図書館があります。
図書館は本来 公に設けて その所蔵する万巻の書物を広く一般の閲に供し また同時に読書・勉学・思索する場を提供するものであります しかし現在その任が充分にはたされているとは言い難く 前者もさることながら 後者の目的においてその感を強くします
名前は「私設圖書館」。コーヒーも出してくれますが、カフェではありません。利用ルールはとてもシンプル。静かにすること。もうここで50年以上も続けておられるとのこと。重厚感のある館内の設えには、館主さんの人生が刻み込まれているようにも思えました。
「本の庵」は、やっと、改装について工務店と話し始めたところ。「自分はこういうことがしたいのです」ということを示すと、それが具体的なカタチになって返ってきます。しかし、なかなか一直線に像を結ぶことはできません。
やりたいことを言語化したり、具体的なカタチにしていく作業は「自分探し」かもしれません。還暦を迎えて「自分探し」とは笑止千万ですが、「本当の自分」なんてものは死ぬまで見つからないのかもしれません。
そうした中で訪問した「私設圖書館」には多くの示唆がありました。いまから「本の庵」を50年続けることはできませんが、10年ぐらい先にこの場所に、いくらかでも自分が刻み込まれていればいいなと思います。
(2025.10.1 館長)
