《蔵書紹介》小川さやか 著. 『その日暮らしの人類学』 光文社文庫. 2016.
《館長雑感》「働く」ことについて
《蔵書紹介》小川さやか 著. 『その日暮らしの人類学』 光文社文庫. 2016.

文化人類学という学問のジャンルを、私のような一般読者にもわかりやすく説明してくれて、文化人類学的視点で社会を見ると、なんと示唆の多いことかと気づかせてくれる本でした。
文化人類学とは、この世界に存在する、わたしたちとは異なる生き方とそれを支える知恵やしくみ、人間関係を明らかにする学問である。わたしたちの社会や文化、経済それ自体を直接的に評価・批判するよりも、異なる論理・しかたで確かに動いている世界を開示することで、わたしたちの社会や文化を逆照射し、自問させるという少々回りくどい方法をとる学問ともいえる。 (p.25)
この文章は、文化人類学という学問にとても興味を持たせてくれる文章だと思います。読み進めていくと、著者がタンザニアの行商人から聞き取った言葉がありました。
子ども時代に豊かな暮らしを両親から与えられ、学校に通え、大人になって良い仕事を得た人が、ある日とつぜん仕事をクビになると、身動きがとれなくなってしまう。だが行商人は違う。商品をすべて盗まれたとしても、翌日から歩き始める。 (p.68)
立派な教育を受けてよい仕事につく生き方と、その日暮らしでも力強く生きる生き方の間には、価値観の違いだけでなく対立があると思うのです。放っておけば、後者の価値観は前者の価値観でできあがっている社会を浸蝕していきます。それに対する抵抗が両者を対立に導いている。引用に書かれている「わたしたちとは異なる生き方」は、アフリカの奥地だけにあるのではなく、もうすでに私たちと隣り合わせにあるのかもしれません。けれど、普段私たちはそれには気付かない。それが、ある日とつぜん顕在化して、価値観の対立が先鋭化し、その先に時代の変化が訪れる。私たちが歴史上、何度か経験している「時代の変わり目」というものは、もしかすると、そのようにして訪れるものなのかもしれません。そう考えると、著者が訪れたタンザニアは、その「時代の変わり目」の最先端といえそうです。
そうした自分たちとは異なる価値観が自分の周りに押し寄せてくることに対する抵抗。それが、移民排斥などの排他的な風潮なのかもしない。だからどうだという訳ではないのですが、確かにこの本は、「わたしたちとは異なる生き方」によって私たちが自分たちの社会や文化を自問する機会を与えてくれるように思います。
(2025・12・1 館長)
《館長雑感》「働く」ことについて
会社勤めで長く苦労してきた身には「働く権利」という言葉は新鮮です。こんなに辛いことを「権利」などと言って背負い込む奇特な方がおられるのか、と思う一方で、人生のうちの少なからぬ時間を割いているこの仕事が、「働く権利」の行使などという言葉で語れたらどんなにいいだろうか、とも思います。私が語りたいのは「働いてお金をもらう権利」ではなくて、純粋に「働く権利」のことです。人間というものは本来「働きたい」という欲求を持っていて、その欲求を満たすことは「権利」なのだ。そんなロジックが成り立つ世界はどういう世界なのでしょう。
この号で紹介している小川さやかさんの著書にこんな文章を見つけました。
このような、怠け者を賛美しながら多忙な人びと、働き者を賛美しながら怠ける人びとをみていると、多忙と怠け者は矛盾しないようだ。…怠け者精神と闘いながら分厚い労働文化史を読み終えて改めて気づくことは、わたしたちは身近な怠け者に憤りを感じつつも、怠け者に憧れているという単純な事実だ。…わたしたちは、勤労主義と怠け者主義の両極を揺れ動き、いずれの立場に立っても満たされない何かを抱え、両者のスペクタクルのなかで特定の労働観を築き上げた。 (pp.17-18)
週末が早く来ることを願いながら、長期の休暇になると会社が恋しくなる。そんな気持ちを文化人類学者が語るとこういう文章になるのですね。
お金を稼ぐことから切り離して「働く」とは何かを問えば、それは「社会と関わることだ」という答えに行き着くのではないかと思うのです。もしかすると、それが「働く」ことの本質であって、お金は副次的なものかもしれません。しかし、それが「働く」=「賃労働」という構図に押し込まれると、「社会と関わる」という要素が見失われていく。それがさらに「働く」=「我慢すること」、「賃金」=「我慢したことへの対価」という構図を作り出し、「働く」ことの「権利」としての側面を見えにくくしているのではないか。 小川さやかさんがタンザニアで出会った人は、みんな「働く」ことに嬉々としている。お金に固執しているようで、実はお金には無頓着。働くこととお金がそれほど強く結びついていないように思うのです。
いま私たちか生きているこの現代社会で、このようにお金と「働く」ことを切り離して生きていけるとすれば、いっけんそれはユートピアのように思えます。でも、会社という組織は、地位や収入という資源を配分することによって、自らの意思に人々を従わせる運動体です。もし、雇われた人が地位や収入に無頓着だったら、会社はうまく機能しません。だから、そういう考えの人には、会社は居場所を用意してくれません。それで居心地のわるさを感じる人もいると思います。
それでもそういう生き方を望む人がいるなら、私は全力で応援したくもなります。こんな文章でも、そんな人の励ましになれば嬉しく思います。
(2025・12・1 館長)
