2026年1号

《蔵書紹介》三浦しおん 作.『舟を編む』. 光文社文庫. 2015. 初出 2009-2011.
《館長雑感》鍬を打つ

《蔵書紹介》三浦しおん 作.『舟を編む』. 光文社文庫. 2015. 初出 2009-2011.

 真面目な人が報われる。そんな物語に心を動かされる人が多いのは、真面目に生きていて報われない思いをしてきた人がそれだけ多いということなのかもしれません。自分が、あるいは自分の近くにいる真面目な人が、こんなふうに報われたら。読者のそんな思いが代弁されている小説だと思います。昨年、NHKでドラマ化されたのを切っ掛けに原作を読み、正月の休みにネット配信で映画を観ました。

 辞書編集部はカネを稼げないお荷物職場。松田龍平が演じる主人公の馬締光也は「コミュニケーション能力ゼロ」のお荷物社員。冒頭でそんな現実が描かれます。営業部から辞書編集部への彼の異動は抜擢でも栄転でもありません。けれど、わずかな荷物を持って本館のビルから旧館の辞書編集部へ引っ越す彼の姿を見せられると、目頭が熱くなります。そこから彼の人生が変わるのです。

 一目惚れした料理人の香具矢が馬締に心を許していく場面。「包丁を砥いでいると落ち着くんだ」という香具矢。そこに以前の交際相手から電話が。その電話を切りながら深く溜息をつく香具矢に馬締は辞書の話を始めます。

「切る」という言葉にはたくさんの使用例があります

「包丁で切る」は目の前の香具矢からすぐに連想できる用例。「肩で風を切る」「スタートを切る」は香具矢にそうあってほしいと思う用例。「一分を切る」は目標に向かって頑張ろうというメッセージが含まれる用例。「関係を切る」「電話を切る」は終わりじゃなくて始まりなんだと言いたいのかもしれません。

みっちゃんって面白いね…でも、ありがとう

不器用な馬締の優しさを汲み取って礼を言う香具矢。映画では、原作の小説にはないエピソードで主人公のキャラクターがより際立って表現されます。

 終盤。小説で「玄武書店地獄の神保町合宿」とされている場面で、映画では、鶴見慎吾が演じる会社の重役が辞書編集部の陣中見舞いに来るシーンが挟まれます。これは、辞書編集部や馬締が会社からどう扱われているのかを端的に描くシーンだと思うのです。ワーク・ライフバランスだとか働き方改革だとか、そんなことが声高に言われる昨今だと、「過労死を厭わないこんな働き方を美化するのか」とクレームが付きそうなシーンです。現実の社会では、重役も管理職もそういうクレームにとても敏感です。長時間労働の責任回避のために、真面目に働く部下に「それは自己満足のための無駄な仕事だ」と言い放つ管理職は、残念ながら、どこにでもいる存在なのかもしれません。だからこそ、この小説や映画が多くの人に受け入れられたのだと思います。真面目な馬締が報われる。その陰で、不都合はすべて俺が引き取ってやろうという人がいる。こんなのは、現代社会ではありそうでないフィクションだと思うのです。

(2026・2・1 館長)

《館長雑感》鍬を打つ

 「本の庵」の開館準備は遅々として進みません。会社に勤めているうちは、頼めば周りの人がどんどん動いてくれましたが、会社を離れたところで何かを始めようとすれば、自分で手を動かさなければ、何ひとつ進みません。退職を目前にして、会社勤めのありがたさを実感します。

 ところで「本の庵」になる予定の建物は、南側に広い庭があります。夏の間は雑草が生い茂り、毎週草刈りをしなければなりませんでした。秋になって、雑草の背丈は気にならなくなったのですが、毎年こんなに雑草が生えるのはたまりません。春になったら芝生を植えようと、グラウンドレーキで均せるぐらいまで鍬を打つことにしました。

 そうしたら、刈ったはずの雑草の根が地面の下に「これでもか」というぐらいに埋まっていたのです。それで「草の根」という言葉の本当の意味が分かったように思ったのです。

 「根」にまつわる単語や慣用句はたくさんあります。何かが定着することを「社会に根付く」とか「土地に根を張る」などと言ったり、揺るぎないものの喩えとして「根強い人気」などと言ったりします。また、諦めずに続けることを「根気」や「根性」という言葉で表したり、物事の本質を「根本的」とか「根源」「根幹」あるいは「根が深い」などと言ったり、徹底的な排除や撲滅を「根絶やし」「根絶」などと言ったりします。どれも地面に鍬を打つ生活の中から生まれてきた言葉のはずです。一見しっかりと草刈りを終えた庭にも、こんなにたくさんの根が張っている。その強さを知っているからこそ生まれた言葉だと思うのです。土の上に立つことがほとんどなくなった現代社会で使われるこれらの言葉が、例えば百年前と、あるいは江戸時代と同じような強さを持っているのか。例えば、商品経済の担い手である大企業の根が絡み合う中で、私が開こうとしている「本の庵」など、草の根のような存在にすぎません。おカネの論理に呑み込まれてしまえばひとたまりもない弱い存在です。いやしかし、大木の根の隙間に生えた草の根を抜くのは案外難しい、というように考えれば、こんな小さな取り組みも根気よく続ければ地域に根を張って根強い人気を得ることができるかもしれません。

 鍬を打った庭には、いまタマネギが植えられています。週に一度、水やりをするときに草を抜くのですが、小さな芽の下には驚くほど深い根があります。芽を出すためにこんなに準備をしているんだ、なんてことにも気づきました。芝生を植えたきれいな庭にしようと思っていたのですが、このまま畑にしておくのもいいかもしれない、などと思っています。春になったらニンジンやカブ、最終目標はダイコン。根菜だけじゃなくてトマト、ナス、ハクサイ、ホウレンソウなど、地上にできるものを植えれば、季節による変化も見て取れます。開館時間までは畑を耕し、雨が降れば本を読む。そんな暮らしぶりも含めて「本の庵」を見ていただくのもわるくはないように思うのですが、どう思われますか。

(2026・2・1 館長)