2025年1号

《蔵書紹介》 青木海青子 著.『不完全な司書』 晶文社. 2023.  
《館長雑感》 脱・コミュニケーション

《蔵書紹介》
青木海青子 著.『不完全な司書』 晶文社. 2023.

 「本の庵」の蔵書を、私の感想文で紹介します。

 この本は、奈良県東吉野村にある私設図書館「ルチャ・リブロ」の司書さんが書かれたエッセイです。私がルチャ・リブロを初めて訪れたときに、そこで買った本です。

 そのころはまだ、「本の庵」という名前は考えていなかったのですが、いま考えているような、カフェ機能のある私設図書館を作ろうと思って、大阪にあるカフェ学校の見学に行きました。ルチャ・リブロを訪ねる前の日のことです。その帰りに、その卒業生が経営しているカフェを2箇所、見学しました(客として利用しました)。どちらも、厳しい競争環境の中で勝ち残っている成功例だと思いました。無意識に、客単価や来店者数を計算。アルバイトは何人いるのか。メニューの中に客単価を上げる工夫があるのか。そんなことを考えながら、それぞれ1時間ほど過ごしました。あのカフェ学校に行けば、それまでただの妄想だったことが実現する。そんなことを期待しながら、しかし、ひどく疲れてしまいました。いまから思えば、インプットされてくる情報が、完全に自分のキャパを越えていたのだと思います。翌日も、別のカフェを見に行くつもりでいたのですが、気持ちが激しくそれを拒んでいました。

 そうだ。ルチャ・リブロに行こう。いつか行こうと思っていたけれど、今日がその日かも知れない。ホームページで調べると、たまたま開館日でした。場所もよく分からないままクルマを走らせて、2時間以上かけて辿り着きました。

ああ ここにあったのか

 カフェではありませんから、「いらっしゃいませ」と声を掛けられることもないし、水もメニューも出てきません。けれど、自分はここにいてもいいんだ、と思える安心感。その場所で受け入れられているという確かさ。なんて居心地がいいのでしょう。そうだ。こういう場所を作りたかったんだ。仕事への意欲だとか、主体性だとか、コミュニケーション能力の有無だとか、要は「稼げるやつかどうか」という基準だけで値踏みされる世界から離れた世界を作りたい。カフェはそのための手段だったのに、いつの間にかカフェを作ることが目的になっていて、消化のわるい情報に胃がもたれて疲れていた。ルチャ・リブロはそんなことに気付かせてくれました。ルチャ・リブロのことをもっと知りたい。入口のすぐそばにこの本が平積みになっていました。「この本を買います」と言えば、あの司書さんの声が聞ける。そう思って買った本です。

 ここまで書いて気付いたのですが、私の文章は感想文にも紹介文にもなっていないですね。

 最後にちょっとだけ、この本について紹介します。著者の自伝的なところもあり、著者の目を通して私たちの住む世界を見ることができる本だと思います。きれいな水色のカヴァーの中には、優しい時間の流れと、激しい時間の流れが入り混じり、滔々と流れていく大河の流れのような著者の人生がありました。

(2025.2.1 館長)

《館長雑感》 脱・コミュニケーション

 みなさんはコミュニケーションが得意な方ですか。苦手な方ですか。私は苦手な方です。例えば、人が大勢いるパーティのようなところにいると、誰と何を話せばいいのかわかりません。何か話さないといけないなあとは思うのですが、声の掛け方がわからなかったり、話の切り出し方がわからなかったりして、ひとり所在なげにしていることが多いです。まったく知らない人ばかり百人を相手にして話をすることは平気ですし、こうして文書を書いて不特定多数の方に読んでいただくことも、何も抵抗もありません。会議や研修など、何か話のテーマが決まっている場ならば平気なのですが、テーマが決まっていない世間話をするのは苦手。それに、名前と顔は知っているぐらいの親密さの人たちの間で、阿吽の呼吸で交わされるハイコンテクストな会話を聞かされると、ひどく孤独と疎外感を感じて、どうすればいいのかわからなくなってしまうのです。

 そんな私にも、2020年にはコロナ禍がやってきました。昼休みに誰かを誘って世間話をしながらランチタイムを楽しむことができなくなりました。しかしこれは、もともと「ぼっち」だった私にとってはありがたいことでした。「ぼっち」であることを気にしなくてもいいからです。時代がやっと私に追いついてきた。そんなふうにも思えました。

 人間は社会的な動物だと言われます。コミュニケーションというのは、人間が生きていくうえでどうしても必要なのだと思うのです。でも、いまの世の中って、このコミュニケーションが過剰になっているようにも思うのです。私たちの生きる糧を得る方法が複雑になっていますから、コミュニケーションも複雑になる。会社で上司のご機嫌を伺ったり、同僚とトラブルを起こさないように気を遣ったりするのは、自分の身体と時間を切り売りすることで賃金を得て、それで生活に必要なものを購入して生きていくうえで必要なコミュニケーションといえます。「あいつはいつもひとりで昼飯を食っていて世間話もしない。何を考えているかよくわからないやつだ。会議ではときどき理屈をこねて、決まりかけている話をぶち壊す。組織の和を乱すやつだ。」そんなレッテルを貼られたりしないか、みんな恐々として生きている。物事をあまり深く考えずに、周りに迎合して生きていく分には問題はないかもしれませんが、ひとたびそこに理不尽を感じると、そういったコミュニケーションがたちまち負担になってしまう。それがいまの世の中だと思うのです。

 「ひとりぼっち」でいいじゃないですか。みんなが見ているドラマだとか、流行りのブランドだとかに疎くてもいいじゃないですか。もし、この文章を読まれているあなたもそう思うのでしたら、少しの時間でもいいですから、その過剰なコミュニケーションを断って自分を取りもどしてみませんか。あなたの本当の友達なら、あなたが抱えているそんな苦しみを理解してくれると思いますし、そんなあなたの行動をわるく思ったりはしませんよ。

(2025・2・1 館長)