《蔵書紹介》宮島未奈 作. 『成瀬は天下を取りにいく』新潮社.2023.
《館長雑感》 普通の人
《蔵書紹介》宮島未奈 作. 『成瀬は天下を取りにいく』新潮社.2023.

「本の庵」の蔵書を、私の感想文で紹介します。
大津にあった西武百貨店が閉店したのは、世界中がコロナ禍で大騒ぎをしていた2020年8月。それをモチーフに、地元のテレビ局による百貨店から中継に毎日映り込む少女、成瀬あかりを主人公にした物語です。
病気で入院していた成瀬の祖母は、…「今日もあかりが映っとる」と喜んでいた…「成瀬はおばあちゃんのために西武に通っていたの」「多少は意識していたけれど、いちばんの理由ではない。こんな時期でもできる挑戦がしたかったのだ」(p.35)
「こんな時期」というのはコロナ禍の時期を指しています。ふだん当たり前にしていたことがすべて「自粛」の対象となり、「普通の人」だったはずの自分が普通ではなくなる。そのことに対して多くの人が息苦しさを感じていたその時期が、この小説の舞台です。
成瀬は「普通の人」として描かれているわけではなく、むしろ破天荒な子として描かれています。学校でも浮いた存在です。けれど彼女は「こんな時期」にいつも通りの破天荒を貫くのです。その姿が清々しい。こんなふうに生きられたら…。そう思った人が多かったことが、この小説が多くの人に支持された理由かもしれません。
西武ライオンズのユニフォームを着て西武百貨店で毎日テレビに映る。それは、成瀬のコロナ禍に対するささやかな抵抗として描かれますが、私には、成瀬の生き方そのものが、この世の中に対する抵抗に思えるのです。成瀬本人はそんなことも考えずに、ただ自分が思うがままに生きているだけなのですが、もしこれが現実ならば、そこに「やめときよし」「そんなことしたら変に思われるで」というお節介を言う人が必ず現れる。でも、成瀬はそれを突き抜けていくのです。読んでいてそこが痛快。まるで自分がそこにいるように思えてきます。そして成瀬は多くの人に愛されている。読んでいても成瀬のことが愛おしく思えてくる。続編『成瀬は信じた道を行く』を読み終えてもなお、このまま成瀬あかり史を目撃し続けたい衝動に駆られ、この街のどこかに成瀬あかりが実在した痕跡を探し求めたい衝撃に駆られる、本屋大賞受賞も納得の一冊でした。
(2025.6.1 館長)
《館長雑感》 普通の人
「山田さんって何者?」
先日、そんなことを唐突に訊かれました。京都にあるノックス・ホリカワさんを初めて訪ねたときのことです。たまたま前を通り掛かって見つけた一箱図書館。それぞれの区画は、それぞれの借主さんが趣向を凝らして本を並べておられます。見ているだけで、どんな人が借りておられるのかと想像を巡らす楽しさがあります。 借主のお一人がそこにおられて、熱心に自分の区画に並べた本のお話を聞かせてくださいました。それにどんな反応をしていたのかよく覚えていないのですが、私の反応が、その方がこれまで同じように話をされてきた他の方とは違っていたのかも知れません。「いえ別にそんな変わった人ではありません。普通の人です」。そんな当たり障りのない答えで相手の方は納得されたのかどうか。
実を言うと、私は、自分が相当変わった人間だという自覚を持っています。こんな文章を書いて印刷して配っている段階ですでに「普通の人」ではありません。後に私もそこの一箱図書館の区画をお借りすることになるのですが、京都市民150万人の中で一箱図書館の区画を借りている人はせいぜい100人程度でしょう。それだけでも1万人に1人以下の割合でしかない存在なのです(おまけに私は大津市民です)。それに、おカネがなければ生きていけないこの世の中で、採算のことは何も考えず、読書カフェだか私設図書館だかわけのわからないものを作ろうとしている「変わった人」なのです。一箱図書館の区画を見ながら、借主さんの人柄をあれこれ想像するような人も、相手の方がこれまでお話をされた方の中にはおられなかったのかも知れません。そんなところから「普通の人」じゃないという印象を持たれたのでしょう。
そんな自覚があるのに「普通の人」と言ってしまうのは、「あなたと私に差異はないですよ」と言って相手を安心させ、多数派の中に自分の身を隠し、「そういう、他人と違うところはこの際、脇に置いて、あなたのお話をもっと聞かせてください」というメッセージを送って円滑なコミュニケーションを図ろうという意図なのか。その辺は自分でもよく分からないのですが、自分のことを「普通の人」ですという受け答えは、きっと百人のうち何十人もの方が経験している「普通の」受け答えではないかと思います。
でもときどき会話の中で、自分が「普通の人」でないことを強く意識させられるときがあります。相手から「~じゃないですか」と言われるのだけれど、それに同意できないときってありませんか。「~じゃないですよね」と明確に反論できればいいのですが、シチュエーションによっては、自分の感性や認識が少数派であることを意識させられてしまう。そして、少数派であるだけなのに、まるでそれが間違いであるかのように扱われてしまう。「~じゃないのになあ」と思いながらも、相手に合わせて受け答えしないといけない会話の、なんと居心地のわるいことか。そう考えると「普通の人」はなかなか厄介な存在なのかもしれません。
(2025.6.1 館長)
