2026年4号

《蔵書紹介》梅原猛 著.『隠された十字架 法隆寺論』. 新潮文庫, 1981. 初出1972.
《館長雑感》和を以て貴しとなす

《蔵書紹介》梅原猛 著.『隠された十字架 法隆寺論』. 新潮文庫, 1981. 初出1972.

 文庫とはいえ五百ページを超える大部な著作。読了に1ヶ月も掛かってしまいました。

 一般的には聖徳太子の発願で創建されたとされる法隆寺。しかし梅原氏よると、誰が、いつ、何のためにこの寺を創建したのかは謎だというのです。その謎解きがこの本のテーマです。梅原氏は、学校の歴史の時間に学ぶ『日本書紀』に基づく歴史観に真っ向から疑問を呈します。

われわれはここにきて、もう一度『日本書紀』そのものの性格を見極める必要がある。『古事記』『日本書紀』の実際の著者は藤原不比等であり、『古事記』は不比等が稗田阿礼なる仮名のもとに太安万侶に手伝わせて、新しい宗教的イデオロギーを興味深い読物にして、元明帝にたてまつった秘書であり、『日本書紀』はそういうイデオロギーによって、実際の歴史を叙述し、藤原氏に都合のよいイデオロギーをそのまま国家のイデオロギーとして、律令体制を強化した歴史書であるというのが私の考えである (p.116)

 梅原氏による梅原氏による法隆寺の謎解きは、この『日本書紀』への懐疑から始まり、寺の建物の構造やそこに施されるさまざまな仏教美術の解釈、そして仏像や祭の異様さへと論が進められていきます。そのクライマックスは、太子の等身像と言われる救世観音の後頭部に、まるで呪詛人形のように刺さっている釘に関する謎解きです。

哀れな太子よ。あなたの子孫を殺した者の子孫は、あなたを、かつてあなたが住んでいた宮殿の跡に立たせて、その地で惨殺されたあなたの子孫たちの骨をあなたにいだかせたのだ。あたかも、あなたがあなたの子孫たちを葬り、彼らの不幸な霊を慰めねばならぬかのように。怒れ、太子よ。あなたの子孫を全滅させたのは彼らだ。その奴らにあなたは疫病の神となって。祟った。けれど狡智にたけたそ奴らは、あなたをもう一度冥途から引っぱり出して、ここに、八角の堂の中にあなたを閉じこめ、あなたに子孫たちの鎮魂を行わせようとするのだ (pp.517-518)

 夢殿のような八角形の堂は、それまでの古墳に代わる霊廟だという。そしてそれは死後の世界から復活してこの世に祟る霊魂を閉じ込めるためにある。法隆寺では、太子の等身像といわれる観音像の後頭部に釘を刺し、さらにそれを布でぐるぐる巻きにして覆い秘仏としたうえで厨子に入れ、さらに薄暗い八角堂に閉じ込めていたというのです。そこまで太子の怨霊を恐れるのは、自身が太子に対して余程ひどいことをしたからに他なりません。梅原氏はそこから逆算して、太子の子孫である山背大兄王と上宮家を皆殺しにしたのは藤原鎌足・不比等親子の術策だというのです。

仏様の頭に穴を開けたり、釘を打ったりするのは、あまりにも恐れ多いことではないか。夢殿の救世観音には、この恐れ多い行為がはっきりなされている。大きな釘が頭の真後ろから深く突き刺さっている。…私はこの原稿を書きながら、恐ろしい気がする。人間というものが恐ろしいのである。仏様の頭に釘を刺し、しかもそれを何らかの技術的必要のように見せかけて、けろりとしている人間の心が恐ろしいのである。このような恐ろしいことなしに、政治は可能ではなかったのか。このような恐ろしいことなしに、日本の国づくりは可能ではなかったのか (pp.529-530)

 この本が書かれたのは半世紀以上前ですが、読んでいると現代の政治や社会の状況を思い浮かべずにはいられません。権力者が歴史を書き換え、自らに都合のよい物語をつくる。その構図は千三百年の時を経ても変わらないのでしょうか。もっとも、怨霊や祟りを本気で恐れていた古代の人々が、仏像に釘を打つことさえためらわなかったことに比べれば、現代のフェイクはどこか底の浅いもののようにも思えます。

(2026.8.1 館長)

《館長雑感》和を以て貴しとなす

 『日本書紀』によれば、聖徳太子(最近の教科書では「厩戸皇子」と表記されているそうですが、以下「太子」といいます)の制定した十七条の憲法の最初には「和を以て貴しとなす」と書かれていると言います。現代社会を生きる日本人の心に棘のように刺さっているこの言葉。本当に太子はそう言ったのでしょうか。

 蔵書紹介で取り上げた『隠された十字架 法隆寺論』で、著者の梅原猛氏はこう言います。

あなたは、大きな理想をもっていた。その理想はあなたを孤独にし、あなたの子孫を全滅させる原因となった。その理想は仏教という理想だった。「和を以て貴しとなす」、あなたは、あなたがつくった十七条の憲法でそういった。そしてあなたはいっている。「忿(こころのいかり)を絶ち瞋(おもへりのいかり)を棄てて、人の違ふことを怒らざれ」。あなたの理想は和だ。怒り、恨みはあなたの理想に反する。しかし太子よ。…あなたは知っているはずだ。和という言葉は、現支配者にとってはいつの場合も有利であり、被支配者にとってはいつも不利であることを。…あなたは和ということの真の意味を知ったはずである。和とは忍従の別名である。あなたは、今、あなたの子孫をすべて惨殺し、その子孫の救われざる霊魂ゆえに、冥途からときたま帰ってくるあなたの亡霊をもここに閉じこめ、そして藤原家の四人の権力者の偶然の死すらあなたのせいにして、冥途から来たあなたの霊をこのうす暗い八角の堂におしこめて行動の自由を奪い、その上、あなたの子孫の骨壺をあなた自身の手にもたせて子孫の鎮魂を行わせようとする。この残酷きわまる屈辱をも、あなたは和をもって耐えようとするのか (pp.518-519)

 梅原氏は、太子が「和を以て貴しとなす」とは言っていない、とまでは主張していませんが、『日本書紀』が藤原不比等によって都合よく脚色あるいは捏造された歴史書であるということが前提になって、この本の論が進められています。この「和を以って」の件(くだり)も脚色や捏造の類なのか。あるいは権力を掌握した藤原氏にとって都合のよいところだけが切り取られたものなのか。門外漢の私には、それを確かめる術もありません。

 しかし、この「和を以て貴しとなす」というキャッチ―なフレーズが、その後の日本人、特に明治以降の日本人の行動を強く縛ってきたのではないかと思うのです。「和の精神こそ日本人の美徳である」。そんな考えが暗黙のうちに共有されているかのように、会社の職場でも学校のクラスでも、とかく強い主張は疎まれます。決められたことに異議を唱えれば、「組織の和」を乱す人というレッテルを貼られ、そのコミュニティで居場所を失う。形式的にはそこにいても、例えば誰も口をきいてくれないなどといった制裁がなされる。そのコミュニティの中での自分のポジションをキープするには、一にも二にも「和」が大切。これは「和」の中に溶け込める人には居心地がいいですが、そこに溶け込めない人にとっては、なんとも息苦しい場所になってしまいます。

 「和とは忍従の別名である」。この一文を読んだとき、「梅原猛さん、なかなか核心をついているなぁ」と私は思いました。

 ところで、蔵書紹介で取り上げた本のクライマックスに登場する国宝、救世観音菩薩立像は、毎年、春と秋に特別公開されています。モナリザの微笑みにも比類される穏やかな表情を前にして、自分も穏やかな気持ちになれる、という方が全国から法隆寺に来られることでしょう。梅原氏の蔵書を読んで以来、私も一度拝見したいと思うのですが、見ようとしている動機が周りの人と全く違うのに、その場の空気に馴染めるのか、ちょっと不安でもあります。別に周囲の人と会話をする必要はないので、団体で来られた拝観者が「美しい氷上ね」「気持ちが穏やかになるわ」などと口々に言っているのをいちいち気にする必要はないのですが、そこで私だけが、観音様の後頭部に挿された釘のことを考え、太子の怨霊に思いを馳せるのは、なんとなく場違いな感じがあって、ちょっとその場に長くはいたくないような気持になりそうです。お寺の方も、この観音像に接する人が穏やかな気持ちになれることを願って特別公開してくださっているのでしょう。そこでひとり別のことを考えているのも、申し訳ないような気持になります。

 こういう行き違いは、日常生活の中でもよくあるように思います。別に誰がわるいわけでもなく、強いていうなら、その場の空気に馴染めない自分がわるいわけですが、それにしても「和の精神」は一筋縄ではいきません。

(2026・8・1 館長)